2019年05月07日
養老孟司氏・「人間がどんどん数値に変えられていく」
私は今の時代の問題の一つは「コミュニケーション」の
不足、したくない、できない、分からない、どうなのかと
疑問に思ってきました。興味深い話だと思いご紹介
します。
※ ネット記事です。抜粋をしています。
人間がどんどん数値に変えられていく
僕の若い頃なんかは、治療法は少なかった。そのかわり医者は、非常に丁寧に
、患者さんの過去を聞きました。
おじいちゃん、おばあちゃんの病気から始まって、「なんで亡くなりましたか?」という質問、
ご本人も「どういう病気をされましたか?」とか。とにかく丁寧に問診しました。
今のお医者さんは、そんな暇はありません。
患者さんの今の体の状態を検査して、すべて数値に変えます。CTなんかも、あれは全部、
数値ですよ。画像と思っている方もいるでしょう。あれは、体の各部分を細かい立方体に分けて、
そのそれぞれの立方体のエックス線の透過度を数値にするんです。
それで皆さんの状態が、平均値からどれだけズレているかを確かめて、治療を施していく
ためのデータなんです。
医者は患者を診ない。見るのはカルテだけ。検査の結果だけ。ほぼすべて数値です。
患者さん本人を目の前にすると、顔色から、機嫌から、臭いから、いろんな感覚的情報が
入ってきます。これ、医者にとっては邪魔なんですよ。そういうものを「ノイズ(雑音)」と呼んでいます。
このような人間の情報化・数値化。これについて考えるきっかけになったある出来事があります。
ある日、銀行に行ったときのこと。手続きの途中で、本人確認の書類を求められました。
あいにくその日、運転免許証を持っていなかったんですよ。
それで「僕、今日は免許証、持っていません」と事務員の人に言いました。
すると相手がなんて言ったか。「困りましたね。養老先生本人だとわかってるんですけどね」と。
僕の顔を見て言ったんです(笑)。
私本人だってわかっているのに、本人確認の書類が要る。要求されたのは、生身の私ではなく、
情報としての私だったんです。銀行にとってみると、本人はノイズでしかない。
生身の人間は、ノイズを含みすぎている
マイナンバーに抵抗感がある人も多いですよね。個人情報を悪用されたらどうするのかなど、
さまざまな理由があると思いますが、しかし根本の問題は、生身の私と、情報としての私の折り合いが、
まだ社会的に決着していないことです。
今の社会は、情報、つまり意味しか求められていない社会。それが情報化社会の正体です。
でも、生身の人間は、いわばノイズを含みすぎています。
現代の若者は、ノイズを嫌います。面と向かって人間と接するよりSNSのほうが好きなのも、
これに関係しているはずです。会社では若い社員が課長にメールで報告をする。
同じ部屋で働いているのに。課長の顔を見たくないんですよ。ノイズがいっぱい詰まってますから。
もし、機嫌が悪かったら嫌だ、なんて。
仲間同士でも、メールで話す。本人の顔を見ると余分な情報が入ってきてしまいますから。
これが本質です。
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。67年、医学博士号修得。
81年、東京大学医学部教授に就任、95年に退官。北里大学教授、大正大学客員教授などを務め、
現在は東京大学名誉教授。『からだの見方』『唯脳論』『バカの壁』『遺言。』など著書多数。
不足、したくない、できない、分からない、どうなのかと
疑問に思ってきました。興味深い話だと思いご紹介
します。
※ ネット記事です。抜粋をしています。
人間がどんどん数値に変えられていく
僕の若い頃なんかは、治療法は少なかった。そのかわり医者は、非常に丁寧に
、患者さんの過去を聞きました。
おじいちゃん、おばあちゃんの病気から始まって、「なんで亡くなりましたか?」という質問、
ご本人も「どういう病気をされましたか?」とか。とにかく丁寧に問診しました。
今のお医者さんは、そんな暇はありません。
患者さんの今の体の状態を検査して、すべて数値に変えます。CTなんかも、あれは全部、
数値ですよ。画像と思っている方もいるでしょう。あれは、体の各部分を細かい立方体に分けて、
そのそれぞれの立方体のエックス線の透過度を数値にするんです。
それで皆さんの状態が、平均値からどれだけズレているかを確かめて、治療を施していく
ためのデータなんです。
医者は患者を診ない。見るのはカルテだけ。検査の結果だけ。ほぼすべて数値です。
患者さん本人を目の前にすると、顔色から、機嫌から、臭いから、いろんな感覚的情報が
入ってきます。これ、医者にとっては邪魔なんですよ。そういうものを「ノイズ(雑音)」と呼んでいます。
このような人間の情報化・数値化。これについて考えるきっかけになったある出来事があります。
ある日、銀行に行ったときのこと。手続きの途中で、本人確認の書類を求められました。
あいにくその日、運転免許証を持っていなかったんですよ。
それで「僕、今日は免許証、持っていません」と事務員の人に言いました。
すると相手がなんて言ったか。「困りましたね。養老先生本人だとわかってるんですけどね」と。
僕の顔を見て言ったんです(笑)。
私本人だってわかっているのに、本人確認の書類が要る。要求されたのは、生身の私ではなく、
情報としての私だったんです。銀行にとってみると、本人はノイズでしかない。
生身の人間は、ノイズを含みすぎている
マイナンバーに抵抗感がある人も多いですよね。個人情報を悪用されたらどうするのかなど、
さまざまな理由があると思いますが、しかし根本の問題は、生身の私と、情報としての私の折り合いが、
まだ社会的に決着していないことです。
今の社会は、情報、つまり意味しか求められていない社会。それが情報化社会の正体です。
でも、生身の人間は、いわばノイズを含みすぎています。
現代の若者は、ノイズを嫌います。面と向かって人間と接するよりSNSのほうが好きなのも、
これに関係しているはずです。会社では若い社員が課長にメールで報告をする。
同じ部屋で働いているのに。課長の顔を見たくないんですよ。ノイズがいっぱい詰まってますから。
もし、機嫌が悪かったら嫌だ、なんて。
仲間同士でも、メールで話す。本人の顔を見ると余分な情報が入ってきてしまいますから。
これが本質です。
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。62年東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。67年、医学博士号修得。
81年、東京大学医学部教授に就任、95年に退官。北里大学教授、大正大学客員教授などを務め、
現在は東京大学名誉教授。『からだの見方』『唯脳論』『バカの壁』『遺言。』など著書多数。
Posted by 田から物 宮崎米穀店
at 15:11
│Comments(0)