2009年02月04日
本日のごはん塾「日本での稲作の歴史」をご紹介します
ゴーゴーご組 本日のごはん塾「日本での稲作の歴史」から
(略)
縄文晩期、北九州地方に伝来した水田・稲作技術は、その後、弥生時代になって
急速に日本列島を東へと伝わり始めます。200~300年の間に九州から近畿、
東海地方へと急速に広まっていきました。
さらに時が経って弥生時代中期になると、関東地方のみならず青森県(垂柳遺跡)
でも水田が作られ、北海道をのぞく日本列島のかなりの範囲にわたり水田耕作が
行われていたことが分かってきました。(略)
下記をご参照ください。
http://study.gokumi.com/e868.html
【私のコメント】
お米は今迄の通説だった弥生時代を「より古い時代にさかのぼらせた方が
適切なのではないか」と専門家が言うほど、つまり日本の歴史を変えるほどの
『力』があった、つまり“革命”を起こしたのですね。
しかも古代の時代にあって青森県までにも全国に伝わった。日本人がお米に
出会った「驚き」と「喜び」が分かるような気がしますね。恋人に出会った
ような、いえ、神に出会ったような衝撃が、日本人の心を貫いたかのような、
そんな衝撃が走ったことと思います。
私の店(田から物 宮崎米穀店)はお百姓さんと直接産地提携しているので、
時々は会ってお話を聞きますが、皆さんお米の話をする時は「熱い!熱い!」。
私にはまるで女王様に仕える下僕ではないかと思う時があります。
日本人がお米に初めて出会った時の『感激』は遺伝子となって今なお受け継が
れていたのですね。だとしたら、お米は日本に渡ってきて「幸せ」になれた
のですね。
それ以後、日本人は飢えで全滅とすることもなく今日まで続いてきた。
お米=田から物=宝物、田んぼ=打ち出の小づちを私たちも伝えていく
べきですね。これからの3000年間の平和のために。
そして「我らの命は続く」。
(略)
縄文晩期、北九州地方に伝来した水田・稲作技術は、その後、弥生時代になって
急速に日本列島を東へと伝わり始めます。200~300年の間に九州から近畿、
東海地方へと急速に広まっていきました。
さらに時が経って弥生時代中期になると、関東地方のみならず青森県(垂柳遺跡)
でも水田が作られ、北海道をのぞく日本列島のかなりの範囲にわたり水田耕作が
行われていたことが分かってきました。(略)
下記をご参照ください。
http://study.gokumi.com/e868.html
【私のコメント】
お米は今迄の通説だった弥生時代を「より古い時代にさかのぼらせた方が
適切なのではないか」と専門家が言うほど、つまり日本の歴史を変えるほどの
『力』があった、つまり“革命”を起こしたのですね。
しかも古代の時代にあって青森県までにも全国に伝わった。日本人がお米に
出会った「驚き」と「喜び」が分かるような気がしますね。恋人に出会った
ような、いえ、神に出会ったような衝撃が、日本人の心を貫いたかのような、
そんな衝撃が走ったことと思います。
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れていたのですね。だとしたら、お米は日本に渡ってきて「幸せ」になれた
のですね。
それ以後、日本人は飢えで全滅とすることもなく今日まで続いてきた。
お米=田から物=宝物、田んぼ=打ち出の小づちを私たちも伝えていく
べきですね。これからの3000年間の平和のために。
そして「我らの命は続く」。
:健康講演会・「笑いと健康寿命」
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