2011年05月06日
2011年に分かったこと
2011年に分かったこと。
津波と原発事故からは「逃げるしかない」
「学者は信用できない」ことは、安全だと言っていた〔10メートル防潮堤〕
〔原発の何重もの安全装置〕が役に立たなかったことで分かった。
企業や役人が無責任だということも「給料の10%カット(※東電は最初は
10%カットを言った)」で済まそうとしたことでもよく分かる>
民主党の「皆で子どもを大事に育てよう」という公約も嘘だった。
菅首相は文科省が定めた「年間被曝(ひばく)線量20ミリシーベルト以下」
の校庭利用基準の見直しを拒否した。 「国としての考え方がある。きちっと
県民や国民に伝える努力をしなければならない」と。
※子どもたちは被災地の被災者の『希望』。だから、その明かりがあるから
「立ち直ろう、やるしかない」。子どもたちは、日本の希望だ。
「コンクリートから人へ」の人はこどもたち、その具現化が〔こども手当〕。
民主党は子どもを大事(お金を使う)にしてくれると思ったから、政権を預けた。
菅首相の何の躊躇もなく、涙一つ落とすでもなく、無表情にさらりと言い放った
顔に、この人の、自分が総理であり続けるためには、血も涙も出さない非情さ
を見たような気がする。
国としての役人としての考え方は、安全基準を自分たちの都合のよいように
「基準を変える」こと。政府が役人が、国民の安全を健康を“二の次”にしてきた
ことは、輸入食品の安全基準を緩めていることでも、日本の農(魚)業を衰退
させていることでもやった。だから、日本は病人だらけになってしまった。
さらに、これからは放射線染でますます病人は増えていくだろう。
彼らはそれでも「困らない」。膨れ上がる医療費、介護費にも又、彼らの利権が
待ち構えている。
復旧、復興のための公共工事、原発の事故処理、医療費と介護費にかかる
お金は彼らの「国民を“人質”にした飯のタネ」になるのだから。
だから臆面もなく“増税”を言う。
日本は変わらねばならない。私たちが変わらねばならないならない。
子どもたちの為に。
津波と原発事故からは「逃げるしかない」
「学者は信用できない」ことは、安全だと言っていた〔10メートル防潮堤〕
〔原発の何重もの安全装置〕が役に立たなかったことで分かった。
企業や役人が無責任だということも「給料の10%カット(※東電は最初は
10%カットを言った)」で済まそうとしたことでもよく分かる>
民主党の「皆で子どもを大事に育てよう」という公約も嘘だった。
菅首相は文科省が定めた「年間被曝(ひばく)線量20ミリシーベルト以下」
の校庭利用基準の見直しを拒否した。 「国としての考え方がある。きちっと
県民や国民に伝える努力をしなければならない」と。
※子どもたちは被災地の被災者の『希望』。だから、その明かりがあるから
「立ち直ろう、やるしかない」。子どもたちは、日本の希望だ。
「コンクリートから人へ」の人はこどもたち、その具現化が〔こども手当〕。
民主党は子どもを大事(お金を使う)にしてくれると思ったから、政権を預けた。
菅首相の何の躊躇もなく、涙一つ落とすでもなく、無表情にさらりと言い放った
顔に、この人の、自分が総理であり続けるためには、血も涙も出さない非情さ
を見たような気がする。
国としての役人としての考え方は、安全基準を自分たちの都合のよいように
「基準を変える」こと。政府が役人が、国民の安全を健康を“二の次”にしてきた
ことは、輸入食品の安全基準を緩めていることでも、日本の農(魚)業を衰退
させていることでもやった。だから、日本は病人だらけになってしまった。
さらに、これからは放射線染でますます病人は増えていくだろう。
彼らはそれでも「困らない」。膨れ上がる医療費、介護費にも又、彼らの利権が
待ち構えている。
復旧、復興のための公共工事、原発の事故処理、医療費と介護費にかかる
お金は彼らの「国民を“人質”にした飯のタネ」になるのだから。
だから臆面もなく“増税”を言う。
日本は変わらねばならない。私たちが変わらねばならないならない。
子どもたちの為に。
:健康講演会・「笑いと健康寿命」
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