2010年10月30日
『食生活の影の星条旗』:資料古記事
一、参考資料・「日本マクドナルド」
(※2001年7月の記事・読売新聞「編集手帳」から)
日本マクドナルドの社長、藤田田(でん)さんの「田」という名前は
クリスチャンのお母さんの命名という。「おしゃべりにならないよう口に
十字架を」との戒めであるとか。
藤田さんが東京で一号店を開いたのは、1971年7月のこと、株式が
きょう、ジャスダック(店頭市場)に上場される。外食の値下げ戦争を
仕掛けた企業の株式相場は、デフレの「いま」を切り取って象徴的でもある。
日本にファーストフードが産声を上げた同じ年、これも戦後の食文化史に
残るカップ麺の第一号を、日清食品が発売をしている。日本人の「食」は
変化の節目を迎えていたのだろう。
パンを中心にした学校給食が全国の小学校に広がったのは,学校給食法が
公布をされた1954年にかけての時期だ。
当時の1年生は、節目の1971年には20代半ばに成長していたことに
なる。
給食のパンに親しんだ世代が社会に巣立ち、好みに応じて自分の財布から
消費をするようになって、この30年のバーガ―隆盛に道を開いた。
子どもが何を食べるかで、文化や社会の姿かたちは変わる。とすれば、
バーガー育ちの子どもはこれから・・・
「それを主食と思うようになるでしょう」。
口の十字架をちょっとだけ外し、藤田さんはそんな予言でドキリとさせる。
想像するにあまり豊かな風景は浮かんでこないが、的中度は、さて。
二、参考資料:パン給食
◆文部省、パン給食実施へ・1950年8月14日
文部省(現文部科学省)が9月の新学期から、8大都市の
小学校でパン給食を実施すると発表した。
□2001年8月13日の日本経済新聞の夕刊に
「パンにはマーガリン。冷めると表面に膜のできる脱脂粉乳。
40代以上のむ人なら覚えているに違いない学校給食の
メニューである。
戦後の食糧難のなかで、米国のガリオア資金(占領地域救済
政府基金)をもとに、パン給食が始まった。
翌年、打ち切られたのにもかかわらず、パン給食は推進された。
子供たちはパンの味に親しみ、日本人の食生活は大きく変わる。
そして、日本は小麦など米国の農産物の最大の顧客となった。
食糧難を救う人道援助は、結果的に米国のビジネスにつながった
ようにもみえる。
【私のコメント】
日本人の食生活の変化は、「仕組まれた」結果です。
昔に放映されたNHKTV『食卓の影の星条旗』に戦後、米国の莫大な
工作資金が〔栄養学会・農水省など役所・商社等〕に配られたことが
分かっています。
9年前のこの意見を皆さんはどう思われるか。
大事に取っておいている記事の一つです。
『食卓の影の星条旗』の戦略は日本の子どもにアメリカの「食の味」を
“刷り込む”ことです。
学校給食に「パン給食」を実施させ、栄養学で“洗脳”する。
(※2001年7月の記事・読売新聞「編集手帳」から)
日本マクドナルドの社長、藤田田(でん)さんの「田」という名前は
クリスチャンのお母さんの命名という。「おしゃべりにならないよう口に
十字架を」との戒めであるとか。
藤田さんが東京で一号店を開いたのは、1971年7月のこと、株式が
きょう、ジャスダック(店頭市場)に上場される。外食の値下げ戦争を
仕掛けた企業の株式相場は、デフレの「いま」を切り取って象徴的でもある。
日本にファーストフードが産声を上げた同じ年、これも戦後の食文化史に
残るカップ麺の第一号を、日清食品が発売をしている。日本人の「食」は
変化の節目を迎えていたのだろう。
パンを中心にした学校給食が全国の小学校に広がったのは,学校給食法が
公布をされた1954年にかけての時期だ。
当時の1年生は、節目の1971年には20代半ばに成長していたことに
なる。
給食のパンに親しんだ世代が社会に巣立ち、好みに応じて自分の財布から
消費をするようになって、この30年のバーガ―隆盛に道を開いた。
子どもが何を食べるかで、文化や社会の姿かたちは変わる。とすれば、
バーガー育ちの子どもはこれから・・・
「それを主食と思うようになるでしょう」。
口の十字架をちょっとだけ外し、藤田さんはそんな予言でドキリとさせる。
想像するにあまり豊かな風景は浮かんでこないが、的中度は、さて。
二、参考資料:パン給食
◆文部省、パン給食実施へ・1950年8月14日
文部省(現文部科学省)が9月の新学期から、8大都市の
小学校でパン給食を実施すると発表した。
□2001年8月13日の日本経済新聞の夕刊に
「パンにはマーガリン。冷めると表面に膜のできる脱脂粉乳。
40代以上のむ人なら覚えているに違いない学校給食の
メニューである。
戦後の食糧難のなかで、米国のガリオア資金(占領地域救済
政府基金)をもとに、パン給食が始まった。
翌年、打ち切られたのにもかかわらず、パン給食は推進された。
子供たちはパンの味に親しみ、日本人の食生活は大きく変わる。
そして、日本は小麦など米国の農産物の最大の顧客となった。
食糧難を救う人道援助は、結果的に米国のビジネスにつながった
ようにもみえる。
【私のコメント】
日本人の食生活の変化は、「仕組まれた」結果です。
昔に放映されたNHKTV『食卓の影の星条旗』に戦後、米国の莫大な
工作資金が〔栄養学会・農水省など役所・商社等〕に配られたことが
分かっています。
9年前のこの意見を皆さんはどう思われるか。
大事に取っておいている記事の一つです。
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“刷り込む”ことです。
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:健康講演会・「笑いと健康寿命」
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