2013年01月31日
あなたはこの子たちを残して死ねますか?
冊子『まいんど』 (日本フルハップ発行)平成25年2月号から引用
心に残ることば フリージャーナリスト 音田 昌子
あなたはこの子たちを残して死ねますか?
幼いわが子を残して逝くのは、親にとってどれだけつらく、心残りなことか。
だが、この人は強かった。33歳でがんで亡くなった安武千恵さんが自分の
死を覚悟したとき、真っ先に考えたのは、娘が一人になっても困らないよう、
たくましく生き抜く力を身につけさせることだった。
25歳で乳ガンを宣告された千恵さんは、抗がん剤の副作用で子どもは無理と
言われながら、奇跡的に妊娠した。しかし、がん患者にとって出産はリスクが高い。
自分の命と引き換えのつもりで生むことを決意した千恵さんは、2003年2月
に元気な女の子を出産。はなちゃんと名付けた。幸せな日々がしばらく続いたが、
半年後にがんが再発。しかも、肺への転移が見つかり、5年後の生存率が5%と
いう宣告を受ける。これを機に抗がん剤治療を拒否した千恵さんは、それまでの
食生活や習慣を改める生活に切り替えた。
このころから、千恵さんは、「早寝早起き玄米生活~がんとむすめと、時々、旦那
~」というタイトルでブログを書き始めた。闘病生活のこと、夫や娘への思い・・。
「あなたはこの子たちを残して死ねますか?」ということばは、亡くなる半年ほど
前に彼女が書いたブログの見出しで、同じようにがんで亡くなったある母親の思いを
自分自身に重ねたものだ。
「私は、がんになった後に、ムスメを授かりました。だから、この子を残して、
死ななければなりません。がんになってもならなくても、死ぬ順番は、私が先に
決まっています。逆になったら、いけない。だとすると、心残りがないように、
しなければなりません」
このことばどおり、千恵さんは、娘が4歳になる前から、洗濯物干し、洗濯物
たたみ、風呂洗い、靴並べ、掃除、保育園の準備、自分の服の管理などを少しずつ
教えて行った。やがて、包丁の持ち方やお米のとぎかた、みそ汁の作り方なども
教えるようになり、5歳になると、朝ご飯の支度はすべてはなちゃんの役目に
なった。横ではらはらしながらも、千恵さんは、声や手を出すのをぐっと我慢した。
自分がいなくなっても、料理ができれば安心だと千恵さんは考えた。なぜなら、
ご飯をつくることは生きることに直結しているから。勉強は二の次でいい。
健康で生きる力が身についていれば、将来どこに行っても、何をしても生きて
いけるはずだ。
この2月で10歳になるはなちやんは、“天国のママとの約束”を守って、今も
毎朝6時に起きて、みそ汁をつくっている。「ご飯とみそ汁は元気をくれるって
ママが言っていた。ママと指きりげんまんしたから、はな、毎日作るよ」
わが子を残しては死ねない。それは母親ならだれもが思うことだ。私も息子
がまだ幼いころ海外出張などに出かけるとよく、「もし、この飛行機が落ちたらどう
しよう。あの子を残しては死ねない」と思ったものだ。
私たちは、いつどこでどんな災害や事故に遭うかわからない。その時に悔いなく
死ねるように、その覚悟と備えをしておくことがいかに大切かを教えられた思いが
する。母亡きあと、父親と二人、けなげに生きる娘の姿を、千恵さんは、今、天国
からどのように見ているのだろうか。
心に残ることば フリージャーナリスト 音田 昌子
あなたはこの子たちを残して死ねますか?
幼いわが子を残して逝くのは、親にとってどれだけつらく、心残りなことか。
だが、この人は強かった。33歳でがんで亡くなった安武千恵さんが自分の
死を覚悟したとき、真っ先に考えたのは、娘が一人になっても困らないよう、
たくましく生き抜く力を身につけさせることだった。
25歳で乳ガンを宣告された千恵さんは、抗がん剤の副作用で子どもは無理と
言われながら、奇跡的に妊娠した。しかし、がん患者にとって出産はリスクが高い。
自分の命と引き換えのつもりで生むことを決意した千恵さんは、2003年2月
に元気な女の子を出産。はなちゃんと名付けた。幸せな日々がしばらく続いたが、
半年後にがんが再発。しかも、肺への転移が見つかり、5年後の生存率が5%と
いう宣告を受ける。これを機に抗がん剤治療を拒否した千恵さんは、それまでの
食生活や習慣を改める生活に切り替えた。
このころから、千恵さんは、「早寝早起き玄米生活~がんとむすめと、時々、旦那
~」というタイトルでブログを書き始めた。闘病生活のこと、夫や娘への思い・・。
「あなたはこの子たちを残して死ねますか?」ということばは、亡くなる半年ほど
前に彼女が書いたブログの見出しで、同じようにがんで亡くなったある母親の思いを
自分自身に重ねたものだ。
「私は、がんになった後に、ムスメを授かりました。だから、この子を残して、
死ななければなりません。がんになってもならなくても、死ぬ順番は、私が先に
決まっています。逆になったら、いけない。だとすると、心残りがないように、
しなければなりません」
このことばどおり、千恵さんは、娘が4歳になる前から、洗濯物干し、洗濯物
たたみ、風呂洗い、靴並べ、掃除、保育園の準備、自分の服の管理などを少しずつ
教えて行った。やがて、包丁の持ち方やお米のとぎかた、みそ汁の作り方なども
教えるようになり、5歳になると、朝ご飯の支度はすべてはなちゃんの役目に
なった。横ではらはらしながらも、千恵さんは、声や手を出すのをぐっと我慢した。
自分がいなくなっても、料理ができれば安心だと千恵さんは考えた。なぜなら、
ご飯をつくることは生きることに直結しているから。勉強は二の次でいい。
健康で生きる力が身についていれば、将来どこに行っても、何をしても生きて
いけるはずだ。
この2月で10歳になるはなちやんは、“天国のママとの約束”を守って、今も
毎朝6時に起きて、みそ汁をつくっている。「ご飯とみそ汁は元気をくれるって
ママが言っていた。ママと指きりげんまんしたから、はな、毎日作るよ」
わが子を残しては死ねない。それは母親ならだれもが思うことだ。私も息子
がまだ幼いころ海外出張などに出かけるとよく、「もし、この飛行機が落ちたらどう
しよう。あの子を残しては死ねない」と思ったものだ。
私たちは、いつどこでどんな災害や事故に遭うかわからない。その時に悔いなく
死ねるように、その覚悟と備えをしておくことがいかに大切かを教えられた思いが
する。母亡きあと、父親と二人、けなげに生きる娘の姿を、千恵さんは、今、天国
からどのように見ているのだろうか。
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